無職の卒業 無職の独り言 マクロミルへ登録
 HOME>ETC>独り言(過去ログ)>2007年7月分〜9月分

独り言(過去ログ)>2007年7月分〜9月分

 H19.9.26
役立ちそうなサイトを見つけました。
独立行政法人労働政策研究・研修機構が運営している「キャリアマトリックス」というサイトです。
このサイトは様々な職業を紹介されており、自分の性格・好みやこれまでの経験から最適な職業を教えてくれるというものです。
利用料は無料で個人情報も入力する必要がありませんので、自由に調べられますし、眺めているだけでも役に立ちそうですよ。

私も早速”適職探索ナビ”から”興味から職業を探す”で試してみました。
24問の質問へ回答した結果はこんな感じ。こちら
その結果をうけて該当する職業を探しますが、この結果から該当する職業を絞り込んだとしても、相当な努力の必要な分野だったり、現実的に不可能な職業も含まれてはいます。
この歳になっても知らない職業もありました。恥ずかしい・・・。
それでも、現実的に出来そうな仕事も多々ありましたので、すぐに応募するかは別にして検討する価値はありました。

他にも様々な情報などを提供しておりますので、興味のある方は散策してみて下さいね。

最下段へ

 H19.9.23
先日、この独り言へ掲載した入院費用に関するお問い合わせが数件ありましたので、もうちょっと詳しく掲載いたします。

入院期間が短かったとすれば、どうして収支がマイナスになってしまうのか?
高額な医療費になった時に一定額を超えた部分は還付してもらえる制度があるのは、皆さんご存じだと思います。
その還付される額は以下の金額を超えた部分です。
所得区分 自己負担限度額 多数該当の場合
上位所得者 150,000円+(医療費−500,000円)×1% 83,400円
一   般 80,100円+(医療費−267,000円)×1% 44,400円
低所得者 35,400円 24,600円
※社会保険庁のサイトより抜粋

我が家の場合には”一般”の扱いとなり、約8万円を超えた部分が免除されます。
そうすると、私の場合入院費が1日約2万円の負担でしたので、入院日数に換算すれば約4日分を超えた部分はすべて無料となります。
これは月単位の精算になり例えば、
8/1〜8/31の入院・・・80100円の最低負担
7/31〜8/5の入院・・・160200円の最低負担
日数で計算すると逆転してしまう場合もあります。

さらに食事代等は全額自己負担になり、月2万円程度は追加で負担しなければなりませんでした。
つまり、最低自己負担の月約8万円と、食事代等の2万円を合わせた約10万円は負担しなければならないんです。

しかし、保険会社からの給付は1日5千円でしたので 4日では2万円にしかなりません。10万円もらうには、20日も入院しなければなりません。

これら条件を私の場合で当てはめてみると、
入院期間6/16〜7/31
入院費7月分約8万円+食事代約1万円
 〃 8月分9万円+食事代約2万円
給付金1日当たり5千円

6月分
給付金75000円−入院費約8万円−食事代1万円=−15000円
7月分
給付金155000円−入院費約9万円−食事代2万円=45000円
合計
6月分−15000円+7月分45000円=30000円(残金)

計算上では3万円残りますが、入院で必要なものを購入するとほとんど残りません。


仮に7月20日頃で退院していたら、入院費は既に限度額を超えていますので自己負担は変わりません。給付金は5千円×20日で10万円支給されます。
給付金10万円−入院費約9万円−食事代1.5万円=−5000円
6月分は−15000円でしたから、合算すると−2万円になってしまいます。

こうした計算の結果、入院期間が短くなるにも関わらず、収支ではマイナスになってしまうというお話でした。
この入院を通して分かったことは、入院給付金は1日5千円では足りず出来れば1万円は必要だったと後悔したことです。

皆さんも保険の見直しをしてみる良い機会です。
見積依頼しても、営業電話は一切行いません。医療・がん保険を自分でゆっくり選ぶなら、こちら

最下段へ

 H19.9.21
 近頃DVDのオンラインレンタルをムキになって利用している。
 今はまっているのは「雲霧仁左衛門」という過去にテレビ放映された作品で、池波正太郎原作の盗賊を主役にした時代劇です。池波正太郎といっても分からない方も多いと思いますが、もっとも有名な作品としては「鬼平犯科帳」だと思います。
 この他に借りまくっていた作品としては、アメリカのテレビ作品である「LOST」にもはまってしまい、続きが気になってしょうがありません。
 この作品は、簡単にいうと無人島に墜落した飛行機の乗客が、生き延びるために島を調べていくうちにアクシデントに襲わたり、不思議な出来事に遭遇するなど、次から次へとテンポの良いドラマです。
 アメリカのテレビ作品として有名な「24」は、出演している人が嫌いなので見ていません。(大統領の奥さんと娘にはうんざりです)

 その他に借りているものとしては、子供の頃に見たアニメやテレビドラマなんかも借りて見ています。
 借りたアニメは「銀河鉄道999」・「ダンバイン」・「デジモンアドベンチャー」など、考えてみたら大人になってから見たものもありますね。
 ドラマは「スクールウォーズ」・「結婚できない男」・「鬼平犯科帳」など、ドラマも列挙してみたら時代を超えちゃってます。

 近所にレンタル店はあるのですが、家に居ながら作品を選んだり配達してもらったり出不精になりそうなくらい便利です。
 店舗ではみかけない作品も多いので、試してみてはいかがでしょうか?
 下記3社は無料のお試しコースがありますので、気軽に試せると思いますよ。

DMM ぽすれん ツタヤディカス
ぽすれん


最下段へ

 H19.9.18
 カムバックしてからずっと入院の話ばかりで大変失礼しました。
 参考までに入院で病院から請求された金額は、高額医療の還付を考慮に入れても1ヶ月半で約22万!それに対する医療保険の給付は約23万(入院1日当たり5千円)で、ギリギリ間に合った勘定になりますね。

 保険に加入した当時は、1日当たり5千円の給付で十分間に合うと思っていんたですが、入院日数がこれより数日短ければ赤字に転落していたんです。
 短ければどうして赤字になるかというと、高額医療の還付を使えば医療費の上限がありますので、入院日数が長引いてもはみ出た医療費分はカットされますが、医療保険の入院給付金はあくまでも入院日数で給付されるからです。
 保険に加入していなかったら大変なことになるところでした。

 この病気を機に医療保険の見直しをしようとしたところ、私のように入院してしまうと2年は新規に加入出来ないようなんです。(厳密には保険会社によって年数や条件が異なります)
 入院の出費というのは、先に申し上げた入院の医療費だけでなく、入院中に揃えなければならないものや、退院してからの外来受診など、これらの経費を入れると私の場合は赤字に転落します。

 私のようにならないためにも、この機会に加入している医療保険の再検討をしてみてはいかがでしょうか?無駄な保険や不足している保障を補うなど、見るべき項目は結構ありますよ。

 以下のサイトで検討してみてはいかがでしょうか?




最下段へ

 H19.9.13
★番外編
 私より先に退院した佐藤さんに、退院後1週間程度した頃に病院玄関で偶然会いました。てっきり外来を受診しに来たんだと思って挨拶したところ、体調がおもわしくなく受診に来たとのこと。顔色は最悪で人間離れしています。
 外来を受診した結果、肺炎はかなり回復していたようなんですが、恐れていた血糖値の数値が異常だったそうで、値はナント600オーバー!
 緊急入院となり私達のいた部屋とは別の重症患者の多い階に移されました。
 入院中に何度かお見舞いに行ってはいたんですが、私の退院する日になっても退院は未定と言われていたようです。

 退院してから2週間後、外来受診の日がやってきました。
 偶然にも同室メンバーだった楢岡さんも外来受診に日になっていて、事前に連絡を取り合い待ち合わせをしました。お互い受診の後にロビーで馬鹿話をしていました。
 すると、佐藤さん夫妻を偶然見かけ、声をかけたら今退院したところだったそうなんです。もちろんバーバリーを着て。同じ病室だっただというだけで、このように退院を喜び合えるっていいものですよ。
 楢岡さんとはお昼を一緒に食べ、今後も同室メンバーとして末永くお付き合いすることを約束し別れました。

 その2週間後、楢岡さんのリハビリしている転院先に病院へお見舞いに行ったんです。距離は高速を使えば20分程度。ここまで付き合いの出来る患者仲間って変ですかね?
 リハビリの成果は着実に進歩が見られ、たった2ヶ月前に手足を動かせなかったなんて信じられません。年齢もあるとは思いますが、人間の回復力は素晴らしいものですよ。

最下段へ

 H19.9.7
★入院中編その9
 翌日、担当の医師へ退院の話しをこちらから切り出した結果、泌尿器科の具合いによっては翌日にも退院してよいことになりました。
 もちろん足の痛みなどは継続中でしたが、あとは投薬による治療のみでしたので、肝心の神経内科のほうは、通院による治療で対応することになったんです。
 泌尿器科は、カテーテルの影響で膀胱炎になっている治癒具合いと、おしっこの出具合いの検査が必要とのこと。
 さっそく泌尿器科への診察を予約してもらい、尿検査とおしっこの出方を話し合った結果、泌尿器科の先生からも退院の許可を頂けました。ヤッター!!!

 退院の日を医師と話し合った結果、私の希望もあり翌日の午前中に決まりました。夜には医師から私と妻へ最終的な説明があり、注意点と今後の治療方針の話しがありました。
 私の退院が決まった同じ日に、同室メンバーの楢岡さんもリハビリ専門の病院へ転院する日が私の退院する翌日に決まり、夕食後に病室でお別れ会をしちゃいました。病室で勝手にお別れ会なんて変ですよね。看護師さんからも笑われてしまいました。

 翌朝、楢岡さんと最後の朝の散歩をしようとしたら、なんとおもいっきり雨が降っている。涙雨でしょうか。
 午前中にはいそいそと退院の準備をすすめ、余ったオムツを病院へ寄贈しようとしたら、看護師さんからはすぐに再入院するから必要なんじゃない?なんてからかわれたり。
 最後の締めとして、転科した三村さんへお別れの挨拶に行きましたが、この日の午後にバルーン手術を控え不安を抱えていたにも関わらず、明るく送り出してくれました。
 もちろん、休憩所などで知り合ったおじさん達へもお別れの挨拶を。なんともにぎやかなおじさん達で、お別れしてしうまのは非常に残念!

 そして、お昼頃に予定どおり退院することとなりました。
 通常は暗くなりがちな入院生活でしたが、病室のメンバーに恵まれ、ある意味楽しい入院生活だったと思います。反面、家族は本当に大変だったはず。
 また、長期間にわたり入院することになってしまい、皆様には大変ご迷惑をおかけしました。また、励ましのメールや投稿をありがとうございました。

 入院話しはこれで終わりにします。
 しかーし、入院番外編か通院話しを次回にしようと思います。
 (またかよ!と思った方ももう少しお付き合いくださいね)

最下段へ

 H19.9.4
★入院中編その8
 外泊が週末に決まり、うかれていたところにニュースです。
 三村さんが胆石の治療よりも心臓を優先させることになり、外泊日に当たる土曜日に部屋を移ることになってしまいました。
 メンバー全員で転科を見送りたかったのに、班長である肝心の私が外泊することになってしまい非常に残念な気持ちで一杯。これでチーム402のメンバーが私と楢岡さんだけになってしまいました。

 三村さんとのお別れもそこそこに、私はしばらくぶりに自分の布団で寝られることに若干興奮気味でした。
 なによりも病院食ではなく、妻の作ってくれる料理が楽しみ!
 メンバーからは”また熱出すんじゃない?”などとからかわれ、おまけに看護師さんからも言われてしまう始末。
 今回も医師からは外出を控えるように言われ、それでも外出したかったので、選挙に行くことだけは認めてもらいました。
 選挙は病院内で事前に投票出来るシステムでしたが、週末に外泊の可能性があったため、投票せずに我慢しておりました。

 家に着いてまず最初にしたことは、パソコンの電源を立ち上げ未読のメールを確認し、いつも覗いているサイトのアクセスなど、いかにインターネット中毒になっているのか分かりますね。
 メール数も、迷惑メールをいれると数千通もの莫大な量が確認され、その中から必要とするメールを探し出したら200通前後。いかに迷惑メールが多いことか。
 
 それからだらだらして夕ご飯を食べ9時前後には寝てしまいました。
 次の日の朝は爺さんのように早く目が覚め、寝坊してもいいんだと二度寝をしてから起きちゃいまいした。
 日曜日もだらだらしてから選挙に行き録りためたビデオを見て、これといったことを何もせずに病院へ帰る時間となりました。
 病院へ戻り看護師さんへ帰院の報告をし、血圧や熱などを測った結果どこも異常無しでしたので、退院へ大きくステップアップすることになります。

つづく。

最下段へ

 H19.9.1
★入院中編その7
 鈴木さんがようやく時間をオーバーして戻ったと思ったら、何も言わずに部屋のトイレへ直行し、入ったまま20分程度たっても出てきません。
 その間、看護師さんや私達の呼びかけに応じはじめ、話を聞くとどうやらお腹が痛いらしい。

 ようやく出て来たと思ったら、顔はうつろな表情で呼びかけにも応じず、そのまままっすぐ進み、壁へ激突し倒れてしまったんです!
 私達は焦って、すぐに私がナースセンターへ呼びに行ったところ、医師やナースが10人以上きて大変な状態になりました。
 幸いにして大きなケガはなかったものの、これまでの言動から精神的な病いと診断されていたらしく、事故での治療も終わっていたことから、翌日に精神病院へ転院することになりました。

 翌日に奥さんのお兄さんが迎えにきて、そのまま転院して行きました。
 結局、奥さんやお子さんは一度も見舞いに来ず、忙しいとはいえなんだか悲しい気持ちになりました。
 鈴木さんの1日も早い回復を祈るばかりです。

 私のほうは、朝は5時頃には起きているため、楢岡さんと早朝の散歩を日課としておりました。当然玄関は開いていないため、救急用の出口からの出動です。
 夏とは早朝はさすがに肌寒い日もありましたよ。
 1日の流れは、
  5:00 散歩
  6:00 起床を知らせに来た看護師さんへ挨拶
  7:30 朝食
  9:30 回診(医師と看護師別々)
 12:00 昼食
 18:00 夕食
 21:00 消灯
 こんな感じの流れですが、回診の時間は日によってかなるずれるため、待ちきれずに散歩に行ったりなどしてすっぽかす時もありました。
 消灯も、テレビを見たりすると遅い時間になったりする時もあり、本来なら他の患者さんのために時間厳守ですが、私の部屋は皆仲良かったので、何時まででも見て良いきまりにしてました。看護師さんも仲良しグループは困ったものだと、ただ呆れて見過ごしてくれてましたね。

 症状は日に日に回復したことから、7月の最後の土日に遂に医師から外泊の許可が出ます。

つづく。

最下段へ

 H19.8.29
★入院中編その6
 脊髄液抽出も、さすがに3度目となると痛みを知っているだけに恐怖よりも、慣れみたいなものを覚えました。
 この検査は、横になって寝て背中を可能な限り丸め、注射針が脊髄に届きやすいような姿勢をとります。背中は当然自分では見えないため、間違っているかもしれませんが、消毒液を広範囲に塗りガーゼみたいな何かをかぶせ、最初に麻酔注射をします。
 この麻酔注射がかなり痛みがあり、麻酔が効いてきた頃に脊髄抽出の注射をします。時間にすればそんなに長くはありませんが、体感的には30分程度だったと思います。その脊髄液抽出後は、最低2時間横になって安静にしないといけません。

 翌日になり先生から検査結果を告げられ、前回240程度だった数値が、今回は50程度とかなり改善されています。症状も入院当初と比較にならないくらい改善はしていました。
 しかし、まだまだ痛みはあり短い半ズボンを我慢してはける程度で、病院で用意しているズボンはとてもはけません。
 下着も、最初はまったくはけない状態だったのが、なんとかT字帯を経てTバックをはけるまでになっていたんです。(T字帯とはガーゼで出来たふんどし)
 私の方は順調に回復を続けます。

 同室メンバーの状態は、三村さんは胆石の手術を行う準備を着々を進めていたところ、手術に耐えられる状態かを判断するための心臓の検査をしました。
 その検査がどうもおもわしくなく、再度精密検査をを行ったところ、心臓にバルーンを入れる手術をすることになってしまいました。
 胆石の入院が心臓の手術をするはめになり、三村さんは完全に落ち込んでいます。大好きだったタバコもやめざるをえませんでした。完全に落ち込んでいます。

 楢岡さんはリハビリを頑張っているせいか、どんどん回復して最初動かなかった右半身が車イスを卒業して杖を使えば歩けるようになり、右手で物も持てるようになるなど、驚異的な回復を見せてくれました。

 鈴木さんは・・・。
 この部屋に移ってから家族が誰一人として面会に来ず、何度か面会はあったようですがすべて会社関係だったようです。事故のことを話し合っていたようです。
 鈴木さんは家族に会えない寂しさや事故に関する問題などから精神不安定になり、おかしな行動が目に付くようになります。それでも奥さんやお子さんの面会はありませんでした。

 明るかった鈴木さんの面影はもうありません。
 眠れないせいで睡眠薬を服用するようになり、幻覚を見るまでに悪化してしまってます。
 そんな状態の時に、お子さんが部活の全国大会出場決定・お母さんの肺ガン発覚と、次から次へと大きな問題が舞い込んできます。本来嬉しい全国大会出場も遠征費や応援態勢などの諸問題が重圧がのしかかります。

 そしてある日の朝、鈴木さんは看護師さんへ病室からの外出許可をもらったまではいいですが、指定された時間になっても帰ってきません。
 看護師さん達もあまりにも戻って来ない不安から必死に探しまわり、私達同室メンバーも心当たりを探しました。
つづく。

最下段へ

 H19.8.25
★入院中編その5
 初めての外出許可は出たものの、ステロイドで免疫力が弱まっているため自宅に帰るだけの外出となりました。それでも嬉しかったんです!!!
 そんな浮かれている時に、同室の佐藤さんが突如退院となりました。
 患っていた肺炎の検査結果が良好だったらしく、私達に嬉しそうに退院になったと話してくれました。ただ、血糖値は300オーバーでしたが・・・。
 退院が決まってからの行動は素早く、すぐに奥さんへ電話して自分はさっさと身の回りの整理を済ませ、帰る服への着替えが始まりました。
 その服がなんと”バーバリー”のおろしたてのシャツだったんですが、あまりにも似合わないうえにバーバリーチェック丸出しだったのが最高すぎました!
 無事に退院された後に、残りのメンバー達と退院する時には”バーバリーを着なきゃ駄目だ”と笑いながら変な取り決めしました。

 その佐藤さんが退院した翌日、いよいよ私の外出する日がやってきました。
 久しぶりの我が家に帰った第一印象は、自分の家なのにお客さんになったような感覚でした。実家に戻ったような感覚に似ています。
 家では、久しぶりに妻の作ってくれた食事を食べた時には感動しましたよ。
 病院の食事は、地域では一番おいしいという評判の食事でしたが、やはり食べ慣れた味には勝てません。食事をして初めて家に戻ったんだという実感が沸きましたね。

 家では数時間過ごしましたが、雑用をしているうちに病院へ戻る時間になってしまいました。戻る道すがら、メンバーへお土産をスーパーで購入し、病院に戻ったところナント三村さんが病院玄関前で1時間程度待っててくれていたんです!
 待っていたというよりも、タバコを吸っていただけなのかもしれませんが。
 病室へ戻る途中にある談話室で楢岡さんとも会い、どうして病院前で待っててくれなかったんだときつく叱責(笑)し、3人で一緒に病室へ戻りました。

 病室へ戻ったところ、なんと佐藤さんの空いたベッドへ既に新しい方が入院されていたんです。仕事中にで事故で一酸化炭素中毒になり、しばらくICUで治療して回復の兆候がみられたため一般病棟へ移されたとのことでした。
 ただ回復していたとはいえ、まだまだ体調が悪そうに見えたので、軽く挨拶を交わし自己紹介だけでその日は済ませました。名前は鈴木さんとします。
 この鈴木さんが後に大問題を引き起こします。

 こうして短かった外出から戻った私は微熱を出しつつも、なんとかこの日を無事に終える事が出来ました。

 翌日、鈴木さんの体調が良さそうに見えたので、話しかけてみるととても明るい方で仲良く出来そうな方だなとメンバー一同胸をなで下ろしました。
 鈴木さんはどうも電話魔らしく、始終家族や誰かに電話ばかりしている。
 ちなみに病室での携帯電話は本来禁止でしたが、病室メンバー同意のうえに就寝時間以外は自由に電話をしちゃってました。その他にテレビも就寝時間中に見ても良いというルールも決めちゃってました。
 始終電話をしていれば当然電池も無くなり充電しなければなりません。しかし、充電器を持っていなかったんですが、たまたま楢岡さんの充電器と適合し借りて充電していたようです。

 鈴木さんは、病状により病室から看護師の許可なく出ることを禁止されているにも関わらず、勝手に部屋から出ることが目に付くようになりました。
 タバコを吸いにいったり売店で買い物などしていたらしい。
 こうなってくると看護師さんも黙っていません。きつく叱るだけでなく始終監視されるようになってしまいました。


 それでもなんとかかんとか過ごしていたある日、3度目の脊髄液抽出検査となるのです。
 つづく。

最下段へ

 H19.8.18
★入院中編その4
 カテーテルは泌尿器科の外来で装着することになったんですが、24時間常に装着しているため、日中は管に先についたキャップを外しトイレへ流しますが、夜は尿を入れるバッグへ接続して垂れ流す仕組み。
 装着当初はかなり痛みがひどく、おしっこをする度に激痛に襲われていましたが、慣れてくると不思議と自分の体の一部のようになり、自然に振る舞えるようになるものです。
 この泌尿器科でも薬を処方され、神経内科の薬を合わせると1日30錠以上もの薬を服用してました。

 そうして日々過ぎていくと同時に楢岡さんと三村さんとはどんどん仲良くなり、病室番号の402号室にちなんで、病室の仲間を私が”チーム402”と名付けました。そして、一番長い期間入院している私が班長となりました。
 あまりにも仲良くなったため、各ベットの敷居であるカーテンも寝る時以外は全開で、常に爆笑という病院ではあり得ない状況だったんです。
 看護師さんや他の部屋の見舞客などから、にぎやかな病室だと言われるほど。

 ちなみに肺炎で入院されていた4番目のメンバーは、まだカーテンを閉めたままでしたが、常に何かを食べている方であまりの食欲に私達は呆れ状態。
 (その方を”佐藤さん”とします)

 佐藤さんは肺炎の治療薬の副作用で、一日数回に渡り血糖値を計る検査をさせられてました。
 更に同室の三村さんも肥満と胆石の治療の関係で、血糖値の検査をすることになり、私もステロイドの副作用で糖尿病になる恐れから、血糖値の検査をすることになったんです。
 こうなると、血糖値の高さを競い合うようになり、私はさほど高くなく120前後でしたが、三村さんは時折200を超えインシュリンを投与されました。
 しかし、世の中には上には上がいて、佐藤さんはほぼ毎回300を超える数値を叩き出すんですよ!!糖尿病に限りなく近い状態なのに、間食を一切止めない佐藤さんには皆呆れてました。(血糖値は常人で100前後)

 そんなある日、遂にシャワーを浴びる許可がおりました。
 体はタオルで拭いていたとはいえ、さすがにかなり汚いうえに臭い。
 ただ、1人では危ないので看護師さんに付き添って洗うのを手伝ってもらうという条件付きでしたが。こうなると恥ずかしいなんていってられません。
 浴びた後はまるで生まれ変わったように気持ち良かったです。

 それから数日経過したある日、症状に多少波はありましたが回復傾向にあったので、いよいよ外出許可が先生より出されます。入院してから約1ヶ月後の話です。
つづく

最下段へ

 H19.8.15
★入院中編その3
 そのお母さんと話した事をキッカケに、当人と軽く挨拶を交わしたところかなりユニークな人で、次第に挨拶を交わすだけでなく、いろいろな話しをするようになりました。

 その方は40代という若さにして、脳梗塞により右半身不随という症状になってしまい、日常生活全般に支障をきたしておりました。しかし、言語や思考回路には影響が無かった事は不幸中の幸いだったのかもしれません。
 学校の先生をされているとのことで、同僚や教え子など連日たくさんの見舞客が訪れており、一週間で少なくても100人は来ていたのは驚きです。
 彼とはどんどん親密になったせいか同室の他の方とも話してみたくなり、比較的いつもカーテンを開けている隣に思い切って声をかけてみました。

 その方は60代で胆石の手術で入院されたそうで、話すまではどんな人なのか不安でしたが、話しかけてみると穏和な方で脳梗塞の彼を紹介したところ、不思議な事にすぐ3人で盛り上がれました。
 もともと車イスを使用しており施設へ入所されているそうで、ヘルパーさんが時折訪れ身の回りの世話をされていました。
 便宜上、脳梗塞の方を楢岡さん・胆石の方を三村さんとします)
 もう一人の肺炎の方は、常にカーテンを閉め酸素吸入などしていたため、なんとなく話しかけづらい状態でしたので様子をみることにしました。

 私の方は、歩行器を使い外まで散歩に行ったりなど精力的に動いておりましたが、あまりにも派手に動き回っていたせいか、歩行器にタオルケットという不思議な格好が災いしたんです。
 もともとステロイドは体への負担が大きく行動の制限が必要だった事と、下半身には下着を着けていなかった事から、師長(昔の婦長)さんから自分の状態を考えるようにとこっぴどく叱られ、行動を大幅に制限されるという、ブラックリスト入りを成し遂げました。
 大きな病院にも関わらず、外来窓口など一部の看護師さんの間では話題になっていたそうです。

 症状は相変わらず痛みはかなりあり、衣類などあらゆる物が触れると反応してしまうために、かけ布団でさえテント状態を維持していましたよ。
 薬もステロイドの他に神経に作用する痛み止めも服用し、どんどん薬の量を増やしていったんです。
 そんな状態だった時に、ナントおしっこが出なくなりました。
 急遽看護師さんに尿道カテーテルをされ、痛みと恥ずかしさの耐えつつ、ようやくおしっこを出せました。その出ない状態が続いたため、結局尿道カテーテルを常駐されせられる羽目に・・・。つづく

最下段へ

 H19.8.12
★入院中編その2
 2度目の脊髄液抽出を行った検査結果は、初回に150程度だった数値が240程度と数値だけ見れば悪くなっている。
 医師の話しでは、炎症度合いと数値にはズレがあり、数値は後追いになっているので、悲観しないようにと言われました。そんな事言われたって悩んでしまいます。
 その後、なぜか痛みが和らいで来たのもあって、このまま様子を見ることになったんです。本来はステロイドを服用する治療を開始する予定でした。

 しかし、和らぎは長く続かず結局痛みは強くなり、ステロイドを服用する治療をすることになりました。
 このステロイドは一度服用すると体への負担が大きいため、副作用の他に治療が終わってもすぐに止められず、なだらかに数を減らす必要があるんです。
 ちなみに副作用は、免疫力の低下・緑内障・骨粗鬆症・糖尿病・食欲旺盛など、けっこういろいろあるんですよ。最初は12錠の服用からスタート!

 その後、4人部屋が空いたということで部屋が変わりました。
 ただし、肌に何かが触れると痛みは強くあったことから、下着も着けられない状態でしたので、大部屋に行ってもカーテンを閉め切り孤独な状態が続きました。
 その状態に同情したのか、看護師さんが歩行器にタオルケットを巻いて下半身裸でも歩き回れるようにしてくれました。
 肌に何かが触れていなければほとんど痛みは無かったので、これで行動範囲はベットの上だけだったのが、外まで行けるようになりました。
 それでも、同部屋の方とは精神的にとても話す気にはなれません。

 この病院では4人部屋であっても各ベットに窓があり、ベットが扇形に配置され自分のスペースも広く、個室のような感覚だったのは嬉しい誤算です。
 古い病院は、ベットが下駄のように並んでいるので、窓際の人しか外をじっくり見られないうえに、自分のスペースも狭いため、居心地は最悪です。

 そのまま数日経過していくと、同じ病室に入院していた方達はすべて退院し、メンバーは完全に入れ替わっていました。
 私を除いた3人は、肺炎・脳梗塞・胆石で入院と全く異なる病気です。
 本来は神経等の病棟なんですが、ベットの空き状況で内科の方も同室になるようでした。
 その状態で数日が経過したある日に、脳梗塞で入院した方のお母さんと話す機会があり、世間話しをしたのをきっかけに孤独状態に大きな変化が現れます。
 つづく

最下段へ

 H19.8.9
★入院中編その1
 救急外来に行ったところスムーズ?に入院ということになり、症状がかなり重かったことから、HCUという重病患者のための病室へ搬送されました。
 到着して最初にしたことは、足があまりにも痛かったのですぐにズボンとパンツを脱いで下だけ裸になりました。おまけに、布団もかけられない状態でしたので、テントのような感じで布団を浮かせてかけました。

 横になって落ち着いたと思ったらおしっこをしたくなるではありませんか!歩くのも大変だったため、尿瓶ですることになりました。
 しかし、ベットのうえで横になった状態のうえに、看護師(女性)さんがいる前で、おしっこなんかしたことありませんから気持ちが邪魔してどうしても出せません。
 仕方なく、おむつを前に置き看護師さんがいない状態で、何とか出すことが出来ました。

 そのHCUで数日過ごした後、該当病棟の個室へ移りました。希望は4人部屋だったんですが、空きがなかったため個室になったんです。
 その個室へ移った後も点滴は毎日繰り返され、当然のごとく両腕のあちこちに刺され、検査のための採血も同時進行だったため、刺す場所が無いほどでした。
 そして遂に恐るべき事態が起こりました。

 なんと、う○ちがしたくなるではありませんか!
 まだ歩けない状態だったうえに、入院前から便秘ぎみだったため最悪の状態です。あんまりお腹が痛かったので、看護師さんを呼ぶとトイレではなく、医師からの指示でベットのうえでないと駄目と言われました・・・。最悪です。
 恥と腹痛を比べても腹痛が勝っていたとはいえ、まさかこの歳でオムツですることになるとは思いませんでした。
 おまけに、う○ちのコンディション?も悪かったせいか、浣腸もすることになりました。その浣腸もいちじく浣腸とは桁違いの大物で、まるでバズーカのような代物。もう聞かないでください・・・。
 そして、例の脊髄液を抽出する検査を再度行うことになります。つづく

最下段へ

 H19.8.7
★入院前編
 最初は右腿上部の一部にこぶし大の神経痛に似た痛みを感じました。
 その後、その痛みの範囲はどんどん広がるうえに、痛みの強さも増していきました。
 その間、痛みを治すためにとった処置は、暖かい湯船に入る・サロンパスを貼る、ユンケルなどで体力回復をはかるなどの処置をしました。
 しかし、一向に回復しないどころか悪化の一途を辿り、病院へ行こうと決めた日には、両足腿と尾てい骨から腰骨・脇腹と広範囲で痛みがあり、その痛みは思いっきり日焼けした肌にヤスリをかけ塩をすり込むようなひどい痛みでした。

 診察は、前から通院していた整形外科へ行ったところ、あまりにもひどい痛みに耐えられず、診察券を渡す時に横になれるところをお願いしたところ、すぐに診察して頂き、レントゲン・MRIで検査しました。
 結果は、写真では悪いところは見当たらないということで、すぐに近くにある総合病院へ紹介状を書いて頂きました。
 自分の車で行こうとしたら、運転は危ないので病院の車で行くことになったんです。

 総合病院へ着き受診する科は神経内科になり、そこでも横になれるところをお願いしたところ、すぐに診察して頂けることになりました。
 そこでもMRI・採血を最初に行い、しばらく休んでいたところ、髄液を採取すると言い出すではありませんか!

 そこ言葉を聞いて、私はとんでもない病気なのではと恐ろしくなりました。
 その髄液採取も、麻酔の注射がひどい痛みで、もうなすすべがありませんでした。採取自体は麻酔のおかげで痛みはありませんでしたが、採取されている間も苦しいことには変わりなく、30分程度はあったような気がします。

 その髄液の検査の結果、細胞数が異常に高い数値になっていた事から、即入院ですと言われ、どん底に落とされた気持ち。
 すぐに家族へ連絡して病院に来てもらい改めて説明されたにも関わらず、馬鹿な私は入院を拒否して帰ると言い張り、薬を処方してもらい帰ってしまったんです。

 次の日の17日も症状は悪化の一途を辿り、前日診察したもらった病院の救急へ夜に行き、前日の診察の話をして入院となった次第です。
 救急では、前日診察して下さった先生がおらず、わざわざ病院へ来てもらうことになったんです。これには申し訳ない気持ちで一杯になりました。
 前日、医者に刃向かったにも関わらず、次の日にのこのこどの面下げてやって来たんだって感じですよね。先生ごめんなさい。

最下段へ

 H19.8.4
 お陰様で無事に退院する事が出来ました。
 退院日は7月31日でしたが、今日まで体調が優れなかったため、更新できず申し訳ありませんでした。

 今回入院することになった病名は脊髄炎で、脊髄の炎症によって神経がダメージを受け痛みなどを感じるようになるみたいです。
 退院したとはいえ、まだ足等の痛みなど症状は続いているため、通院にて当面は治療を続けることなります。
 また、ステロイドなどの強い薬を服用していることもあり、外出や人が多いところなど制限されている状態です。ステロイドは免疫能力を著しく弱め、感染に対する防御出来ないからです。
 ステロイドの副作用はこの他にも、骨粗鬆症・緑内障などを発症させたり、食欲旺盛になり顔が太るなどもあるそうです。

 更に他の薬の副作用によって、頭ががフラフラすることもあるんです。
 服用している薬は最も多い時には40錠以上も服用していたんですよ。

 入院中の出来事については、日を改めてご紹介したいと思います。
 最後に、私の留守中には皆様には大変ご迷惑をおかけしたお詫びとともに、代わりに回答して下さった方達へ深く感謝申し上げます。

最下段へ






2007年4月〜6月分 独り言最新月へ
無職の卒業HOMEへ戻る

2007年10月〜12月分